<<第2章 病気になるまで>>
俺は入社5年目にして現場管理の実質トップになっていた。
2013年の夏から冬にかけ、上司が一人また一 人・・・と抜け、 最終的に3人抜けた。
どこの会社でもあると思うが、 人件費を削るため 若手だけを残す。
仕事の取っ掛かりは複雑な調整をしないといけない。
だから最初だけ、 ベテランを現場に派遣するのだ。
そして落ち着いたら人件費のかかるベテランは引 き揚げ、人件費のかからない若手だけを残して、 経費を浮す。
まずここで問題なのが、 俺の会社の現場管理は個 人任せになっている。 専業的な体制。
なので、現場管理のデータのフォーマットもバラ バラ、使用されている用語もバラバラ、データの
保存先もバラバラ、データのファイル名もバラバラ。
自己流で統一性がなく、 標準化されていない特殊仕様なのだ。
これではもし病気で抜けた場合、 フォローに入っ た人が現場の進捗管理を見ても、すぐ行動できず、 また一から現場確認という手間がかかってしまう。
引き継ぎも3回あり、 ある上司は口頭で、ある上司はExcelの一覧で。
引き継ぎを網羅すれば良い訳ではない。
人間なのだからミスはあるし、 抜けているところもある。
なので俺は、引き継いだ資料を片手に現場を見て回った。
俺が引き継いだ工事案件は大きく2つあった。 A案 件とB案件。
どちらも、 進捗管理に予定が書いてあったが、 B案件の進捗は大雑把だった。 これが後々大問題になる。
ある日俺は、B案件の図面を見て現場を回ることにした。
すると図面と現場の工事進捗が合わないところが 見つかった。品質不具合というやつだ。 カップ ラーメンで例えると、 中身の麺を入れ忘れて出荷 しちゃったって感じだ。 これは上司も来てくれて 何とか修正できた。
俺はそれをきっかけに少しパニックになっていた。
なんとか軌道修正し、仕事を継続し、 ミスもなく順調だった。
俺はこの時から狂っていた。
「俺は仕事ができて、カッコいい」と自分に酔っていたのだ。
ちなみに、 現場というのは品質チェックがある。 1回目に社内検査、2回目に親会社の検査、3回目に お客さんの検査だ。
2回目までは良かったが、3回目のお客さんの検査 のとき、2回目まではあった検査するための目印が なくなっていたのだ。
犯人は他の会社だった。 工事現場というのは多く の会社が同じ場所で作業しているので、他の会社 が作業をしているときに消えたのだろう。
しょうがないから、大体の場所に目印を作り、 そ こから検査することにした。
そして検査の日が来た。
検査した値が許容値を超える不具合が20ヶ所中5カ 所くらい出て、再検査ということになった。 その 再検査が、お客さんの中の現場のトップが入るこ とになった。かなりのプレッシャーだ。 再検査の時は、俺は緊張しすぎて、 検査がグダグダになったのを覚えている。
ホントに仕事に行くのが嫌すぎて、 夜もあまり眠 れず、朝も食べる気力がなく、 そのとき体重が6kg くらい減っていた。
1回、自殺も考えた。
仕事が終わり帰宅し「また明日も仕事。 どうせ仕 事を辞めるにしても、引き継ぎして辞めないとい けない。 仕事が落ち着かないと辞められない。 ぱっといなくなる方法がない。 抜け出すには『死 ぬ』しかない」 と考えた。
まず、遺書を残そうと思い、 床に落ちていたチラ シを取り、ペンを握った。
いざとなると、 言葉が出てこないものだ。
俺はシンプルに 「ありがとう」と添えた。
そして上半身裸になり、 台所から包丁を持ってきた。
切腹しようと考えた。
包丁を両手で握り、 心臓目掛けて振り下ろした。
しかし、包丁はセラミック製だったため、血すら出なかった。
今度はハサミでやろうとハサミを握り振り下ろす が、思い切り刺すことができない。
今考えてみれば、 心の奥底に死にきれない思い、 まだ死にたくないという思いがあったのだろう。
じゃあ簡単に死ねる方法は?
「電気を使って感電すればいいじゃん。 よくドラマ で風呂場とかの水場で感電死してるシーンがある からいける」と確信した。
そして実行に移す。
近くにあった、ノートパソコンの電源コードを湯
船の近くまで持ってきた。
湯船にお湯を縁まで張り、 全裸になり、 湯船に浸かる。
電源コードを湯船に漬けたが、何も起こらない。
おかしいなと思い、コードのコネクタの部分を足に付けてみると、ビリビリと弱い電気が流れるのが分かった。
「これじゃダメだ。 コードの端を切り落として、中のビニールを剥いで銅線をむき出しにして心臓に 当てるしか無い」
コードを改造した。
いよいよ心臓に当てる。 頭も湯船に沈めた。
「これが死ぬ時の覚悟か」
俺は色々考えた。 家族、 親友、 仕事のこと。この時の時間は一瞬だったけど、とても長く感じた。
コードの銅線を胸に当てた。
この間の記憶がない。
気がついたら、 とても苦しかった。 溺れそうだったのだ。
結果、 死ねなかったのだ。
後から気づいたのだが、ノートパソコンなどのモバイル機器の使う電気の量は少なく、コードに流 れる電気の量も少ないので、心臓にはあまり電気が流れなかったのだ。
今思えば運が良かったのだ。
今も感電したときの傷が残っている。
何とかこの状況を変えようと、 残業することにした。
現場の朝というものはとても早く、 朝8時から全体 朝礼が始まるので、その前に今日の準備 (事務処理)を行う。
なので7時には現場に着かなければならない。
しかも、普通乗用車で後輩5人を拾いながら、 相乗りで現場に向かうので、6時には家を出ないと間に合わない。
少しでも時間を作るために、車を飛ばした。
それでも時間が作れず、 夜は8時まで残業したこともあった。
それでも時間が作れず、 遅い時は10時まで残業。 それでも時間が作れず、日曜出勤を3週間連続した。 (現場の休みというのは大型連休の正月、GW、お盆と日曜だけです。)
なのでこの時、28連勤くらいしていたと思う。
ある日を境に、よく喫煙所や作業調整でお世話に なる他の会社のAさんが現場に来なくなっていた。
他の人に聞くと
「ああAさんねぇ〜インフルエンザB型で休んでるよ」
ということだった。
ある日の日曜日、この日は珍しく俺以外にほかの会社の人も出てきていた。 話を聞いたら、
「こっちも作業が遅れていてねぇ〜。 他の会社に迷惑は掛けられないからねぇ~。 忙しいけどお互い 頑張りましょう」
みたいな感じのことを言っていた。
俺は溜まっていた事務作業を処理し、 仕事を終え た頃には5時になっていた。
「休みの日に、定時で上がっても嬉しくないんだけ ど」と思いながら、 帰宅。
その4日後、朝から怠いし、 今まで感じたことのな い寒気が全身を襲う。
なんとかしようと厚着し、 カイロを4つほど体に貼 り付けて、現場に向かった。
この日は、金属管を コンクリートの床ができる前に設置するという感 じの作業だった。 後輩と2人で、設置を行う。
他の会社の作業が遅かったため、こっちの作業は 昼休みまでかかってしまった。
このときには怠さがピークだった。
後輩には
「あぁーだりぃ〜」
と連呼していたと思う。
事務所に帰って、 飯食って、30分休憩して、また作業。
今度は、地上40mくらいの所まで、足場の階段を上がる。
この時はすごいキツかった。
その日は何とか作業終えて、帰宅。
「熱でもあんのか」と思い、 おもむろに検温する。
体温計の表示は 「40度」
「高っ。 もしかしてインフル?」
この時、頭をよぎったのは「5日前に、Aさんは確 かインフルB型かかってて休みだったよな。Aさん から感染った?」だった。
とりあえず、近くのコンビニでマスクと熱さまシートと食料、栄養を取らないといけないと思い野菜ジュースを大量購入。
帰宅し、熱さまシートをおでこに貼り、 飯を適当 に食い、 野菜ジュースを2・3本飲み、さっさと寝 た。
次の日の2014年2月24日、 熱は下がっていた(それ でも38度)ので、とりあえず現場へ行く。
上司に帰れと言われ、 タクシーを呼び、 総合病院
へ直行。
総合病院でインフルの検査を行う。
鼻に綿棒みたいなのを入れる。
待合室の椅子に座り、検査結果を待つ。
名前を呼ばれ、 個室に案内される。
医者に
「インフルのB型ですね~。 もう熱も下がってきて る段階なんで、 薬飲んでも意味ないんで、うがい 薬だけ出しときますね。 10日間は自宅待機でお願いしますね」 と言われた。
この時、俺は 「俺がいないと仕事が回んなくな る」という強い思いがあった。
とりあえず上司に連絡する。
「インフルB型でした。 Aさんからもらったみたい です。 医者に10日間くらい休んでくださいと言われました。 仕事はこれとこれと…が残ってる んで、お願いします」
家に帰り、 ゆっくりしてると、 後輩3人が来た。 ベテランが俺になんか食わせてやれと、 後輩に 2000円を持たせていた。
俺は食料を十分買っていたので、とりあえず2000 円を懐に入れた。
後輩が帰り、ゆっくりしていると 「仕事をもっと こうすればいいのに。 会社のここがダメだ。 会社がダメなら自分で会社を作ればいいじゃん」と 思っていたら、 俺の脳内で「ピーン」 と変化が起きた。俺はこの時のことを「覚醒」と呼んでいる。
おもむろにA3の紙とシャーペンを取り、 頭の中に 浮かんだ言葉を列挙していく。
後から調べて分かったが、この作業はひとりブレストといわれるものだと分かった。
そして一つの結論が出た。
全社員でこれを(ひとりブレスト)をやれば、スゴイことが起きる。革命だ。
革命を起こすにはまず材料調達。
・ビデオカメラ: 記録用
・スケジュール帳: これから忙しくなるからスケジュール管理しないといけない
・バック: 出張が多くなるから
書き味いいシャーペン : 書くのがメインだから書きやすいもの
その日の夜、俺は閉店ギリギリに駅前の電気屋に行き、ビデオカメラとバック、スケジュール帳、サングラス3個、えんぴつみたいな書き味のシャーペンを6本、そのシャーシンを30個、 合計10万円使っていた。 急いで家に帰り、 後輩3人に電話をする。 この時すでに10時半を回っていた。
後輩のBとCに酒を持たせ、家に呼んだ。
最初は悩みを聞いたり、仕事で分からないことを聞いたりして、BとCの仕事しているときは見えない部分が見えてきた。
Bは仕事中に覇気がない、 実はリア充で人付き合い は上手く、仕事を真面目にして頑張ってますよアピールをするのが嫌いなので覇気がないように見える。
Cは仕事中は一生懸命頑張って面白いやつだが、実はネクラだった。
後輩2人の真実を知れて嬉しかった。
とまあ後輩の紹介はこんな感じで。 あと1人Dを呼
ぼうとしたが、 電話に出なかった。
けどそいつは天然ということが分かった。
そして俺の中の本題の実験である。
ビデオカメラを回し、BとCへ紙の中央に「電気」
と書かせて、イメージを広げて貰った。
2人のペンはなかなか進まない。
なので、
「電気」←「光る」
「ハゲ頭」 → 「おじさん」みたいな感じで、 一列に繋げていく方法でやらせてみた。
そしたら、Bは15単語くらい、 Cは2単語くらいしか浮かばなかった。
「俺みたいに 「覚醒」 しないとダメなのか。 じゃあ俺が何とかするしかない」と思った。
俺は一睡もせず、 A3の紙に書き続けた。
アイデアが頭の中から溢れてくる。 書き留めたかった。
途中でA3の紙に書くのが面倒になり、「もっとでっかい紙・キャンバスはないのか」と考えた。
たまたま住んでいたのがアパートだった。 そのアパートは偶然にも壁が一面真っ白だったのだ。
「紙じゃなくて、壁にかけばいいやん」
俺は壁に書き始めた。
色んなことを考えていた。
「重要なものは3つある。 信号機は3色。 メダルは金銀銅」
「人っていう字は高齢者と若者が支えあって出来て いる。超高齢化社会になれば、人も人ではなくな
る」
「教育方針は子供が生まれる前から作るべき」
「将来、 お金に価値はなくなる。 お金は日本銀行券。つまり紙である」
など…
壁に色々書いた後、色々鬱憤(うっぷん)が貯まって
いたので、 親友や上司に電話を掛けまくった。
合計で8時間くらい電話をしていたと思う。
「1回全員で話し合うべき。 そういう場を設けたら、自分が進行します。 もう2人で新しい会社起こした方が早いですね」
だとか色々聞いているうちに、 「俺って他の会社の改善提案とか向いているんじゃね?」と思い、一つのビジネス・儲ける方法を思いついた。
コンビニに並んでる製品は厳選されている。
その商品を分析すれば儲かると考えた。
商品分析→製造元の株購入→クレーム→商品改善→売上up→株価up
俺はコンビニが欲しかったので、 本社にいる上司に
「近くのコンビニ買収してくれ」
と電話したが、上司は
「そんなことできるわけないでしょ」
と冷たくあしらわれた。
じゃあ俺が買ってやると、さすがにすべては買えないので、店にある商品を買えるだけ買おうと決めた。
近くのコンビニに行き、 ATMから40万円下ろし、ありとあらゆるものを買いあさった。
生理用品から雑誌までとにかくカゴに商品を入れまくった。
合計24万円使った。
その時のレシート。くそ長い。 合計571点、 243,039円。
レジって商品多いとフリーズするんだということを初めて知った。
コンビニで商品を買い込み、量が量だったので、店員に商品をダンボールに詰めてもらい、店の前に置 かせてもらった。ついでに、「こんなに多い商品を一括・タイムリー に管理できてるシステムを知りたい」 と思い、 店長にレジの商品分類の画面を見せて貰った。
「チルド、 野菜・・・」
あまり覚えてない。
一生懸命メモしたが、アパートを退去するときに親に捨てられた。
一段落して、コンビニで買ったチューハイを飲みな がら、タバコをふかしていたら、 現場の上司と後輩 のDが来た。
たぶん本社にいる上司に俺が「近くのコンビニ買収してくれ」
と電話したから、様子を見てきてくれと頼まれたのだろう。
後輩のDが俺のアパートに商品を運んで、 ちょっと 上司と話をして、アパートに戻り、 上司と後輩は部 屋の壁一面にびっしり文字が書かれているのを見て、 かなり深刻だと思ったのだろう。
上司が
「心配だし、病院行こうか?」
俺は
「昼飯食ってないんで、 ゆっくりしてから行きましょうよ」
って言ったけど、 何だかんだ言われて、 結局急いで総合病院に行くことになった。
病院で精密検査を実施。
MRI、採血、骨髄液抽出。
人生初のMRIはとてもうるさかった。
音楽が流れていたけど、 工事現場のような爆音で意味なかった。
骨髄液抽出も初めてだった。
その後は、時間稼ぎのように点滴を打たれていた。
気づいたら、もう17時を回っていた。
俺はその間、看護師からダンボールを貰って、それをちぎり、アイデアを書き続けていた。
「日本は何なのかとか世界は何なのか」
いつの間にか鹿児島にいるはずの母も来ていた。
救急車で母付き添いのもと、精神科のK病院へ搬送された。
救急車に乗ったときも病人みたいに横に寝かされて、血中酸素濃度と脈拍、血圧を測られた。 まるで病人扱い。
救急車が止まり降りると、そこは初めての場所だった。
夜9時頃到着し、診察を受けた。
私はその時とても興奮していた。
ありとあらゆる状態が予測できていたのだ。 「東京オリンピックは絶好調だと予言できる」
と色々な事をマシンガントークしていた。
暗い中、 個室に案内された。
個室の中央に布団が敷いてあるだけで、後は何もない。
「とりあえず病衣に着替えてください」
と看護師に言われ、服、 財布、スマホ、タバコすべて没収された。
とりあえずその日は疲れたので寝た。